ランチェーラ(Ranchera)その1

ランチェーラはスペイン語では「牧場の」という意味。20世紀初めに牧場や農園の情景と生活を題材にした陽気な音楽が生まれた。そして、メキシコシティーへの人口の流入に伴なって、その音楽も都市へ進出し、都市大衆にも共感をもって受け止められた。その後、1930年代後半からは伴奏にマリアッチが用いられるようになり、現在ではマリアッチが演奏するのが当然ということになっている。1940年代以降は映画文化と一体となって、映画の中でメキシコの大スターペドロ・インファンテ、ホルヘ・ネグレーテ等の俳優がランチェーラを歌い、メキシコ音楽の代表ジャンルとなる。現在でもLuis Miguel等の活躍により引き続きランチェーラは人気があるが、彼が歌っている曲も1950年代の最盛期に作曲された作品で最近は名曲は生まれていない?。あとランチェーロ歌手はちょび髭が好きみたい。

★ ホルヘ・ネグレーテ(Jorge Negrete

1911年グアナファト生まれ。グアナファトっぽい顔してる。何故か軍事学校卒。1931年にオペラ歌手としてデビューし、その後米国やキューバで歌い、映画にも出演していた。その後、メキシコに戻り、「¡Ay Jalisco, no te rajes!」という映画に出演し、一躍スターに。その後も50本近くの映画に出演している。「メヒコ・リンド」という歌も大ヒット。1953年に42歳の若さでLA市内のホスピスで死去。不滅のアイドルとして今でも人気があるとのこと。彼の歌い方はまさにマッチョ、有名は歌「グアダラハラ」は無数のバージョンがあるが、彼が歌ったやつが最高、かなり元気がでる。「カウボーイ歌手」とも言われた。

★ ルーチャ・レジェス(lucha Reyes)

 

1906年ハリスコ州グアダラハラの芸人一家に生まれる。家庭は非常に貧しかったと言われている。母親と二人でメキシコシティーに上京し、幼いながらサーカスの合間にソプラノ歌手として働きはじめ、その後LAで歌手デビューしている。ソプラノ歌手としての芸名はエルビーラ・レジェス。トリオとしても活躍し、欧州巡業に出掛けたが、ドイツのあまりの寒さが原因、という説とフィエスタでテキーラを飲みすぎたのが原因、という説のどちらかで声が枯れてしまい、その後、男っぽく歌うランチェーラ歌手に転じ、ルーチャ・レジェスと改名する。感情をそのまま表に出す歌い方に特徴があり、映画でも大活躍。メキシコで最も有名なランチェーロ女性歌手と言われ、「マリアッチの女王」というあだ名もついた。1944年に亡くなっているが、死因は謎に包まれている。ルーチャ・レジェスがランチェーロを歌い始めた当時女性がランチェーロを歌うことにメキシコ国民はまだ慣れてなく、多くの偏見があったらしい。彼女の歌い方にはそのような偏見を吹き飛ばすような「力」が垣間見れる。

★ ホセ・アルフレド・ヒメネス(José Alfredo Jiménez

1950年〜1960年代のランチェーロ最盛期に君臨したランチェーロ歌手兼作曲家。私にはタコス屋の主人にしか見えないが凄い人らしい。もともとはメキシコサッカーリーグの一部である「マルテ」のサブゴールキーパーであったというから驚き。しかしサッカーで食えないので以降音楽で身を立てることになった。彼は楽譜も読めず音楽も全く勉強したことがなかったというが、生涯で400曲にも及ぶ作品を手掛けている。歌詞も実体験に伴った歌詞が多く、彼の人間性とともに人々の共感を生んだ。曲はペドロ・インファンテ、ホルヘ・ネグレーテ、ビセンテ・フェルナンデス等が歌っている。1973年に47歳で死去。主な作品として、Ella」、「Media Vuelta」、「El Caballo Blanco」、「El Rey」、「El Jinete」、「Cuando el Destino」等等等すごく有名。

     クーコ・サンチェス(Cuco Sanchez)

1921年タマウリパス州アルタミラに生まれる。1937年に歌手デビューし、1957年には「La cama de piedra」をヒットさせる。

その後も数々の名曲を世に送り出し、映画にも多数出演。2000年10月に79歳で死去。

作品として「Arrieros Somos」、「No soyMonedita de Oro」、「Fallaste corazon」等がある。

★ ペドロ・インファンテ(Pedro Infante

1917年シナノア州マサトラン生まれ。大工見習い等いろいろな仕事をしていたが、父親が音楽家であったこともあり、16歳の時に父親のオーケストラに加わる。その後、その当時の妻に説得され1939年にメキシコシティーに出てホテルで暫く歌手を続け、1943年に漸くレコード発表。その後は映画に多数出演するようになり、ホルヘ・ネグレーテ後の国民的スターとなる。他方、航空会社TAMSAの事業にも関わっており、1957年4月に自ら操縦していた飛行機が墜落し死去。生涯で60本の映画に出演し、300曲以上のレコーディングも行っている。早すぎた突然死がメキシコ国民に彼のカリスマ性を意識する結果となり、今でも彼の映画は非常に人気がある。なんといってもペドロ・インファンテは愛嬌。私には「歌手」というより「偉大なコメディアン」だと感じる。歌、演技、笑いとなんでもこなし、メキシコで未だに一番愛されているのではないだろうか(テレビでもよくやってる)。また、彼が初めてボレロをマリアッチ演奏で歌ったことはその後のボレロ・ランチェーロの発展に繋がり意義深い。あと、ハゲにも苦しんだらしい。ん〜、共感。

★ ハビエル・ソリス(Javier Solis)

ペドロ・インファンテ急死後、ボレロ・ランチェーロの歌い手として彼が引き継ぐ。1932 年にメキシコシティーの貧しい家庭に生まれ、学校も途中で退学し肉屋の職人、プロボクサー等様々な仕事をしながら若くから働いていた。歌が好きで、ガリバルディやレストランで歌ったりもしていた。ある日バーで歌っていたときにトリオ・ロス・パンチョスに見出され、アイドル歌手として一躍人気に。1959年以降30本を超える映画に出演している。甘い声が人々を魅了し、特に女性ファンが多かった。1966年に胆のう炎をこじらせ34歳の若さで急死。病床では医者から水を止められ非常に苦しんだらしい。貧困からのスターということでメキシコのサクセスストーリーだっただけに、彼の余りにも若すぎた死は人々の涙を誘った。

 

 

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